株式会社湯佐和 湯澤剛様インタビュー(第1回)

大企業のサラリーマンとして海外勤務も経験されるなど活躍されていた湯澤さん。
神奈川県鎌倉市に本社を構える株式会社湯佐和の初代社長である父親が急逝したことで、突如事業継承をすることになりました。
生前は父親と事業の話をすることもほとんどなかったという湯澤さんは、店舗数30を超える飲食業の会社を引き継ぐことになりました。
その時点では、自社への知識なし、飲食業の経験もなしというスタートだったそうです。
そして、引き継いで知ったのは、なんと40億の借金があることでした。

先日「ある日突然40億円の借金を背負う――それでも人生はなんとかなる。」(PHP研究所)を上梓された株式会社湯佐和の湯澤社長にお話を伺いました。

株式会社湯佐和 湯澤剛様プロフィール

株式会社 湯佐和 代表取締役。1962年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、キリンビール株式会社に入社。国内ビール営業を経て、人事部人材開発室ニューヨーク駐在、医薬事業本部海外事業担当などに従事。 1999年、創業者であった父の急逝により株式会社 湯佐和を引き継ぐ。40億円という莫大な負債を抱え倒産寸前の会社を16年かけて再生。現在は神奈川県下で、14店舗の飲食店を経営し、これまでの経験から、「あきらめなければ道は拓ける、朝の来ない夜はない」をテーマに講演活動等を行っている。経営学修士、認定レジリエンス・トレーニング講師。

株式会社湯佐和のご紹介

神奈川県東部を中心に自社ブランドで居酒屋等の飲食店を14店舗経営。三浦半島の2つの漁港で買参権を持ち鮮度の高い魚介類の仕入れ、熟練の板前が各店舗で腕を振るう。刺し身や寿司が楽しめる自社ブランドの居酒屋「七福」「七福水産」「海福」などを展開。

株式会社 湯佐和
http://www.yusawa.com/

書籍のご紹介

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発売日 2015年07月23日
判 型 四六判並製
ISBN 978-4-569-82548-9

1999年、お父様から事業を引き継がれた時の会社の状況を教えてください。

大学を卒業してキリンビールに就職し、サラリーマンとして12年間勤務していました。
1999年1月に父親が突然なくなってしまい、やむを得ず会社を継ぐことになりました。

当時の私は、飲食業界の経験は一切なく、12年間サラリーマンをやっていましたが、組織を束ねるようなマネジメントの経験はありませんでした。さらに特徴的なのは(父親が経営していた)自社の知識や情報がまったくなかったのです。

会社は当時、33店舗で年商20億円ありましたが、引き継いで知ったのですが、実は年商の2倍の40億円もの借金があり、そのうちの28億円が地元の信用金庫から、残りの12億円がメガバンクからでした。更には税金や家賃など未払金だけでも1億もあるような酷い状況。
当時は一ヶ月に元本と利息だけで、3千万円の返済があり、とにかく資金がまわっていませんでした。

資金的にもこのようにボロボロだったのですが、組織もボロボロでした。
33店舗あるのに店長はわずかに2名だけ、そして店舗スタッフはモラルの低い人が多く、現場も酷い状況でした。

そんな状況の中、当時から働いている本社スタッフの方に「◯◯はどうしたらよいですか?」という形でいくつもの指示を仰がれ、何も分からない状況でしたが無下に断ることもできないので、指示を出したりハンコを押すなどしているうちに、なし崩し的に・・・というのが事実上の事業承継の形でした。

会社を継がれた翌年2000年6月に戸塚店をリニューアルされたそうですね。

父の葬儀が終わり、キリンビールを正式に退職したのが1999年3月でした。もちろんその間も会社には行けずに、実際には経営をしていました。
もう毎日がぐちゃぐちゃの中、資金繰りに追われながら1年が経過しました。ちょうどその翌年の3月、4月頃、自分の意思ではないのに、地下鉄の線路にふっと自分の身体が吸い込まれていくように動いてしまうことがあったり、自宅に借金の督促の電話があったりしまして、これはなんとかしないといけなと思ったのが、翌2000年の春でした。

それまでは借金のことだけで精一杯だったということだけではないのですが、本当に全店の体制がボロボロだったので、お店を立て直すという一歩を踏み出す気力もありませんでした。でも、このままではまずいということで、一歩を踏み出すことを決めました。それは店を立て直すということでした。

このぐちゃぐちゃの状況を変えるには、(キリンビール時代に培った考え方である)一点突破、全面展開しかないだろうと考え、まずは私が住んでいる家に近いという理由で「戸塚店」をリニューアルすることに決めました。ただ、この時点では飲食業の知識はゼロでした。とにかくまずやってみようということでスタートしました。

資金繰りや店舗のマネジメントもうまくいかないどん底の状況の中、5年間という期間を決めて、経営にあたられたそうですね。

本にも書きましたが、5年間やれるだけやってダメだったら、辞めようと心を決めました。
つまり、経営の期間を決めたのです。その期間は、どれだけ大変でも辞めない。
でもこれが、(その後経営を続ける上で)大きかったです。

今でもありますけど結果が見えないことってありますよね。
努力しても努力しても結果がでないこと。一歩踏み出しても出来ないんじゃないかな、という不安な時ってありますよね。今でも社員に言っているのですが、そういう時は「プロセスに切り替えてしまう」という話をしています。

そもそも借金返済まで80年かかるとか、債務超過をなくすまでに25年かかると言われても、内心そんなの無理だと思っていました。

でも、5年間、1827日、365日を5回とうるう年分の2日の合計の日数の間、会社を潰さないようにしようと決めました。
この間、会社がうまくいかなくても、借金が逆に増えようが、いいんです。とにかく、その時の私の目的は「5年間を終わらせること」でした。

それで、迷いがなくなって、そのプロセスに集中することによって、道が開けるようになったのです。

当初から借金を減らすということだけを経営の目的に据えていたら、仮に借金が増えてしまったらもう心折れてしまいますよね。たとえば、半年間、毎月2千万円の借金を返済して頑張ってきたのに、資金繰りが厳しくて、また5千万借りなければならないような状況になってまた借金が増えてしまうようなことになったら、心折れますよ。せっかく頑張ってきたことが逆戻りになるわけですから。

私はこの時、5年間というプロセスに経営の目的を変えたことがほんとに大きかったです。

中小の飲食店のスタートアップの方々は、希望に満ちて開業されても、その後壁にぶつかって結果がでない。そこで心が折れるんですが、その時にプロセスに集中することに切り替えることが大切だと思います。プロセスは積み重ねてゆけるものなので。偉そうに言っていますが、私も今もそのようにやっています。今も結果がみえないことが多いので。

リニューアルされた戸塚店は順調に業績が伸びたのですか?

実は、3ヶ月くらい全然うまく行きませんでした。

どうしても失敗するわけには行かなかったので、当初はあれもこれも取り入れました。
大手のメニューを真似たり、膝をついて接客したり、女性客やファミリー、20代の若者を取り込もうといろいろと試み、結果として総花的な店舗となり誰のためのお店か分からないような感じになっていました。

リニューアル前のお店は、板前がお店でお客さんの隣でお酒を飲んだりするような酷いお店だったのが、リニューアルしたお店のほうが業績が悪くなるという酷い状況でした。売上も、利益もなんとリニューアル前より下がりました。

どうしてうまくいかないのかと思って、帰られるお客様の後をつけて会話を聞いていると、もともと利用してくださっていた中高年の男性お客様からは「あの店変わっちゃったよな」と言われ、若い女性のお客様からは「勘違いだよね!」と言われる始末でした。

当時は、どうしても弱みの克服に目がいっていました。大手と比べて、あそこが弱い、ここが弱いと。それがいけませんでした。

(次回更新に続きます。)

次回は、リニューアル後不調だった戸塚店を見事復活させたポジショニング変更と縮小均衡で店舗数を減らしながら利益を増やしたその手法についてです。

湯澤社長はどのように最初にリニューアルした戸塚店を成功店舗に導いていったのでしょうか。またその成功モデルを横展開し、縮小均衡で33店舗あった店舗を徐々に減らして集約していきます。そのような過程の中で利益を増やし借金を返済していきます。

次回更新は12月4日の予定です。お楽しみに。

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